戦争の背後にあった名もなき人々の営み。この世界の片隅に

原爆ドーム


毎年、8月になると、平和を考えるセミナーやイベントがあちらこちらで開かれます。
今それらを主催している人たちの多くは、戦争を知らない戦後世代の人たちです。

私が小学校へ上がる手前ぐらいの時期に親からお小遣いをもらってよく通った駄菓子屋の店主は右腕の無いおじさんでした。気さくで子供たちに人気のある人でした。
私の子供時代、そういう片足や片腕の無い大人たちをご近所や街でしばしば見掛けました。
義足のおじさんが毎日一人で路線バスに乗って職場に通勤する姿も見ました。
親が「あれは戦争で・・・」と教えてくれましたが、当時の私にはピンときませんでした。

私がピンとこなかった理由は自分がまだ幼かったからだけではありません。
片足や片腕のない大人たちに悲壮感が無かったのです。むしろ、戦時中を生きてきた人たちが、若い人たちよりもたくましく見えました。
自分が厳しい時代をしっかりと生きたことを、人生の歴史の1ページとして誇らしく考えていた人たちが多かったように思います。

アジアとアフリカのほとんどが欧米の植民地で、現地の人たちが欧米人たちの奴隷として冷酷に扱われ、また虐殺されていた時代。
日本も石油の供給を遮断されて、都市に失業者があふれ多くの餓死者が出ていた時、日本は一か八かの戦争を選択しました。

人類の歴史は苦難の繰り返しでした。
そして、どんな歴史の背後にも、名もなき人々の悲哀と感動に満ちた日々の暮らしがあります。

この世界の片隅に

日本には戦争をテーマにした映画やアニメが沢山あります。
他の多くの作品には反戦思想がひたすら強く流れていますが、「この世界の片隅に」は少し趣が違います。

「この世界の片隅に」の物語の舞台は、あの広島です。広島市から呉に嫁に行った女性が主人公です。
この作品からは、観る人たちを無理やり泣かせてやろうという意図を感じません。
しかし、人が生きるという事がこんなに力強くて美しいものなのかと感じて感動の涙が自然と込み上げてくる作品です。

身近な人たちや大切にしていたものが次々に失われていった時代。
呉に空襲が起きると、焼き出された人たちのために広島から大量のおにぎりが届く。広島に原爆が落ちると、今度は呉の人たちが救援に向かう。
どんなに厳しい環境の中でも、人は強く生きていく。日々の営みを止めることはなく、女たちは今日も明日も明後日も飯を炊く。

名もなき女性たちの戦中戦後の生活が描かれている物語ですが、夫として主人公の女性に寄り添う実直な男性の存在も光っています。

「ありがとう、この世界の片隅にうちを見つけてくれて」
・・・主人公の女性が夫にこの言葉を掛けるラストシーンが印象的です。

例えすべてを失ったとしても、明日の希望を見失わず、人は誰かと一緒に小さな幸せを見つけながら生きていく。
世界が真っ暗闇になったとしても、その中から光を見つけて人は感動する。
・・・それが人間の自然な姿であることをこの作品は語っています。

(編集室 やしろたかひろ)