福田カレンのエネルギー栄養学

vol.5 「断捨離」と「少食」の共通性

スプラウト

元祖「断捨離」の本を読んだことのない、勉強不足の私があえて言わせていただくと、モノが少なくなると人生に新たな流れを呼び込むことができ、運が良くなるメカニズムは、この世界の本質がヴァイブレーションだと考えれば当然だとわかります。

どういうことかご説明しましょう。
人間や植物は細胞が集まってできていて、その細胞は原子や分子、素粒子からできています。素粒子は「粒子であり、波である」という性質を持ち、目には見えない速さで明滅しています。ざっくり言うと、この明滅の回数が多いと周波数が高く、少ないと周波数が低いということになります。
そして、生命のあるものだけではなく、全ての物質が素粒子でできています。

つまり、モノが多い部屋は、それだけ情報が多いのです。顕在意識にはこうした情報の全てを拾うだけの処理能力がありませんが、潜在意識は顕在意識の550万倍の処理能力があるとされていますから、膨大な情報を認識しているのですね。
だから、私たちを取り巻く「モノ」多いと、潜在意識の情報処理能力に負荷がかかり、新たな何かをとり入れる余裕がなくなってしまうのです。

潜在意識は、この世界の唯一の実態であり、全ての源である「場」と常にやり取りする連絡機関ですから、潜在意識に余裕が生まれると、全てのエネルギーが蓄えられた「場」から新たな何かを呼び込むことができるようになります。

また、何を捨て、何を手元に残すかの選択は、自分自身を見つめることに他なりません。だから、断捨離の過程で必ず自我が成長します。

少食というメッセージは、空前の飽食の時代である現在の風潮に完全に逆行していますよね。
おいしいものをたくさん食べるのが幸せという価値観を持った人に「少食」というアイデアを投げかければ、「この人は私の幸せを奪いに来た!」と思われても仕方がありません。
人の価値観は千差万別で、どれが良くてどれが悪いということはありませんから、食に大きな喜びを見出すタイプの人は、その幸せをとことん追求すればいいと思います。

ただ、人生において、食以外の重要課題があるならば、誰かと同じ食べ方をすること、つまりお腹が空いていなくても、朝昼晩決まった時間に食事をすることや、産業界によってつくられた流行や常識に盲目的に従う食べ方をすることが、自分にとって本当に必要かどうかを考えてみていただきたいのです。

モノを捨てられないのはモノに執着しているから。過食をやめられないのも執着です。私を含め、現代人はみな食べ過ぎていることは、きっと誰もが気づいているでしょう。メタボを気にしたり、痩せたいと思いながら、あれもこれも食べてしまうのは、満たされない心を埋めるためであり、肉体を養うためではありません。

モノが少ないことが幸せ、という価値観を受け入れることができるのなら、本当に必要な分だけ食べれば満足、という価値観にシフトすることも可能なのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

世の中には、何も食べず、水すら飲まなくても元気に生活している人がたくさんいます。人類はやがて不食(エネルギー食、光食)へと進化すると考えていますが、少食はそのための1つのステップです。
意識的な少食は、人類の進化を後押しすることだと、私は考えています。

少食を可能にするのは、本質的なエネルギーを多く帯びたものを食べることです。カロリーではない、本質的なエネルギーにはいくつかありますが、その1つがバイオフォトンです。人間や動物、植物といった生体は「バイオフォトン」とよばれる微弱な光を発しています。キルリアン写真とよばれる写真に写っている光が、実はバイオフォトンです。

私たちが本当に必要としているエネルギーは「光」です。純粋なエネルギー、光を持つものをたくさん食べましょう。

<バイオフォトンの多い食べもの>
・新鮮な、加熱していないフルーツや野菜
・発芽し、成長中のスプラウト

<光を食べるレシピ>
お好みのスプラウトのサラダ(できれば自宅で栽培して!)

(2018.4.15 福田カレン) プロフィール


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